2019年5月4日 ビジュ神父様からのご復活メッセージ

ご復活おめでとうございます
ご復活おめでとうございます。イエス様の復活は私たちにとっては、希望であり、どんなに苦しいことがあっても、神様が必ず一緒にいてくださることの約束でもあります。もちろん、キリスト者として、私たちは死後、キリストとともに永遠の命にあずかることの意味も含まれています。
さて5月からは新しい時代「令和」が始まりました。「令和」は梅の花が春の始まりを告げるように、明日への希望、美しい自然との調和を望むものであります。つまり、人として平和と調和に満ちて成長し、人生の花を咲かせるように招かれている意味です。この新しい時代はある意味で教会が2000年にわたって祝ってきている「令」の意味として「神様のお告げ」を「和」として「相手を大切に」することを指しているような気がします。イエス様は私たちにとっては、神のお告げであり、どんな人をも大切にして、すべての人に人間としての本来の姿を示してくださいました。
この令和の時代にキリストの教えをすべての人に及ぶ時代にありますように、一人ひとりが平和と調和に満ちた人でありますように願います。 
さて、復活の時期になると私は自分の子どもの頃の故郷での聖週間の過ごし方を思い出します。私の故郷の教会はインドの南にあるケーララ州(信者数800万人)の北部にあるTellicherry大司教区内の大きな小教区Thomapuram(使徒トーマの名を与えられた教会)です。とても田舎ですが、信者数は3500人程度の教会です。すべての家庭も信者で、地域はほとんどキリスト者ですので、教会中心の祭りが多いです。復活際の準備として四旬節に入ると、食事制限(いわゆる、肉、魚など食べない)して、聖週間に入ると、受難の主日から、全員が教会のミサに参加し、イエス様の受難に向かって準備します。聖木曜日には、教会でのミサが終わったら、各家庭で過ぎ越し祭の食事を記念し、キリストの最後の晩餐を祝います。聖金曜日ですが、午後3時から教会の指定の十字架山を、(教会から2キロ離れたところにある山を十字架の道行きをしながら)登り、そこで、金曜日の言葉の祭儀、十字架称賛をします。その日はもちろん、断食ですので、イエス様の十字架の苦しみを思いめぐらしながらその日を過ごします。この日は仕事もしない一日になります。また、聖土曜日も静かな一日を過ごし、日曜日の朝2時ごろに盛大な復活祭のミサを行います。これもまた、盛大なミサとなり、ほとんどの信者はこのミサに参加し、イエス様の復活を祝うのです。村はほとんど信者であるので、このように盛大に祝うことができるのですが、私にとって、自分の信仰がこのような雰囲気の中で育てられましたので、今の私があるのです。
それぞれ、地域によって、祝い方が異なりますが、なにより、私たちは、キリストの受難と復活を祝い、自分にとっては、キリストの復活はどういう意味を持つのかと復活祭を祝うたびに問いかけなければなりません。キリストはすべての人の罪を担って十字架を背負いました。そのキリストがまた、復活によって、すべてが十字架の苦しみで終わるのではなく、十字架の後に復活があるということを示してくださいました。つらいことがあるときは、キリストの受難と復活を心に留めたいと思います。そこから、力をいただき、前向きに生きるように努力したいと思います。キリスト者にとっては、キリストの復活は信仰の源であり、どんなことがあっても神様が見捨てることがないことを思い起こすものでもあります。
皆様、キリストの復活を祝う私たちが、このことを大切にして、自分の努力の後に神様のみ胸に任せることを心がけましょう。

2019年05月04日